趣味の脂肪吸引が評価によい影響を与える?
自分より後に来た客が、もう食べていて一人だけ取り残されて(笑)。
なぜ、このテーブルには水もメニューも来ないのか、なぜ、オーダーを取らないのだろう。
田舎者だと見破られて、なめられているのかもしれない。
ジーッと待っていることに頭にきて、店を出たという経験があります」また、はじめて夜の新宿・歌舞伎町へ行ったときの驚きは、いまでも忘れられないと堀本はいう。
「東京の夜の繁華街はどこかと専門学校の友人に聞いたら、歌舞伎町に連れていってくれました。
夜の九時すぎでしたが、すごい人通りで、人も車も道にあふれるように行き来していて、思わず『今日は何か特別な祭りでもあるの?』と聞いてしまったんです。
こんな大騒ぎ状態は、田舎では祭りのときくらいしかありませんからね」上京した当初こそ、数々のカルチャーショックを体験し、戸惑うことも多かったH氏の生活も、数カ月後にはひと段落し、東京の生活にも少しずつ慣れていった。
そして、友人に紹介されたアルバイトをはじめたH氏は、そのおもしろさに没頭し、アルバイトに明け暮れるようになる。
皿洗い、ウェイター、いまはクラブと呼ばれるディスコなどでのアルバイトに夢中になった。
その結果、専門学校の授業に出席する日がしだいに減っていった。
学校から「出席日数が足りないので、卒業できません。
卒業するには、あと一年間、通学して授業に出なければいけない」といわれたH氏は、教室で学ぶ一年間がムダに思えた。
そして、勉強よりも社会で学んだほうが早いと感じ、ついに退学してしまう。
「当時はバブル期に向かって上昇していく時代で、バイト代も高くなり、しかも親からの仕送りも受け取っていましたから、財布の中身は若いサラリーマンよりも多かったと思います。
食事のついた「まかない付き」 のアルバイトを選ぶようにしていましたから、ますますお金が貯まっていきました」住んでいた賃貸アパートのレベルもグレードアップし、月に三万二〇〇〇円の四畳半一問、風呂なしという部屋から、二万円高い風呂付きになった。
一つの店で長期間のアルバイトをすると、しだいに責任ある仕事を担当することになり、ある喫茶店では七人ほどのウェイターやウエイトレスを束ねるようになる。
しかし、アルバイトのほとんどは学生で、労働意欲や仕事に対する責任感などはあまりないから、よく休む。
そうすると責任者のH氏は休めない。
そうこうしているうちに、H氏自身が辞めたいと思うようになる。
「それに、お金が貯まると、いろいろ遊んだり、旅行に行ったりしたいですからね。
実際、いろいろなところへ旅行に行きましたね。
そのうちに、さらにエスカレートしていき、二週間も旅行に行くようになりました。
そのためにお金を貯めて、アルバイトを辞めてから旅行へ出かけるわけです」実はH氏のアルバイト歴は小学校四年生からはじまっている。
島のお祭りのとき、スーパーマーケットで綿アメを一〇~二〇円で売るアルバイトを遊び感覚でやっていた。
そこで、楽しいことをしながらこづかいももらえるアルバイトの味を覚えたという。
中学生になると、ゴルフ場のキャディの補佐をはじめた。
高齢者が多いキャディの横について、手助けをするアルバイトである。
友だちに「今週、バイトあるよ」といわれると、日曜の早朝に集合して、キャディの補佐をし、お昼か遅くとも午後一時ごろには終了した。
一日を有効に使えて、しかもアルバイト料が入った。
高校生のときには、水道管の工事など、建設現場の作業もした。
夏休みには友だちの両親が経営している店などでアルバイトをした。
年齢とともにアルバイトは長期化し、しかも熱中していった。
H氏は、机上の学問よりも、実際に体を動かして働くことで、実学を学び取っていった。
そんなH氏も、専門学校を退学した段階でアルバイトから卒業し、事業のまねごとのような仕事に従事する。
それは、鍋や教材を売るセールスで、商品の仕入れ、在庫、販売というプロセスを実感できた。
この仕事に携わったことは、いまから考えれば起業の基盤となったのかもしれない。
「景気がよかったこともあり、どこにでも仕事はありました。
中小企業であれば、すぐにでも就職できた時代です。
面接に行けば、ほぼ間違いなく合格するので安心していました。
でも、正月に田舎に帰ると、大学を卒業して就職を決めた友だちに、『いま、どんな仕事してるの?』と聞かれる。
彼らは春からスーツを着て、ちゃんとした会社に勤めるのに、自分は短期アルバイトのフリーター状態のまま。
これはまずいと思い、すぐに面接を受けました。
結局、二十二歳での就職です」。
こうして、まだインターネットなどない時代に、パソコン通信の会社に就職。
当時、パソコンは普及しておらず、ITの走りのころだった。
逆にH氏は、そこにトレンドを見いだし、時代の最先端にいったほうが楽しく仕事ができると感じたのだ。
大きな通信モデムに受話器を置き、パソコンにつなげるのが仕事だった。
個人でパソコンを所有している人はまだまだ少ない時代だったが、一部の「新しいモノ好き」やマニアックなファンを対象に営業活動をした。
いまのような個人情報に関する規制もなかったため、名簿図書館やデータセンターなどから二十歳以上の若い世代をターゲットに、住所・氏名のデータを購入し、パソコン通信の方法を解説する無料講座を知らせるダイレクトメールを郵送する。
その講座会場に集まった人のなかから、モデムを購入してパソコン通信をはじめる人が出てくるという営業方法をとっていた。
「すぐには購入しなくても、興味を持った見込み客に再びデモンストレーションをすれば、かなりの確率で販売できました。
あのころのパソコンは高額商品でしたが、ワープロにはないパソコン通信の魅力をアピールすれば、買いたいという人は多かったので、セールスしやすかったですね」フリーター時代のセールス活動が役立ったのかどうかは定かではないが、この新しい事業のノウハウを把握したH氏は、ついに起業を決意することになる。
H氏、二十二歳での起業であった。
H氏は、察明期のパソコン通信業界で、仲間とともに会社を興した。
パソコンと通信モデムを仕入れ、販売ルートを開拓してセールスする。
これが新会社の事業である。
起業してから半年後には早くも事業は軌道に乗り、その後、規模が大きくなって社員数は一五人ほどまでに成長した。
ところが、起業して三年後、業績は順調に伸びていたにもかかわらず、H氏は辞めてしまう。
「時代の先端をいく事業でしたが、もっと生活に密着した分野で事業をしたいという思いが湧いてきたのです。
起業する夢は果たせたのですが、パソコン通信を一生の仕事にするかとなると、疑問が出てきたわけです」そもそも、アルバイトやフリーターをしていたころ、すぐに責任者やチームリーダーに抜擢されたH氏には、仕事のノウハウをすぐに体得できる資質がある。
だから、セールスにおいても比較的早くに業績を上げ、起業する前に勤めていた会社の上司からも認められていた。
一生を通して貫けるその実力はパソコン通信という領域でも大いに発揮されたのだが、仕事かというと、「これは違う」と感じたのだという。
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